迷宮の魂

 芳子からキャッシュカードを受け取ると、谷口はこの日初めての笑顔を見せた。

「この金は大事に使わせてもらうよ」

 何時もの快活な谷口に戻ったのを見て、芳子は彼との新しい生活に想いを馳せた。

 しかし、この日を境に彼とは連絡が取れなくなってしまった。そればかりか、それまで耳にする事の無かった彼の悪評が頻繁に入るようになり、気持ちの中に疑心が芽生え出した。

 騙された。

 そう気付いたのは、彼の真意を今一度確かめようと、自宅へ行った時の事だった。

 駐車場で仲睦まじげに笑みを交わす谷口と、その妻らしき女性の姿を見たのだ。

 綺麗な人だった。

 その美しさは、芳子から見ても眩しく映った。

 余程、二人の前に出て、谷口を思い切り罵倒してやろうかとも思ったが、ぴたりと寄り添う妻らしきその女性を見て、そんな気持ちも萎えてしまった。

 三日後、彼女はアパートの風呂場で左手首を切った。

 以来、気持ちが塞いだ時や、滅入ってしまうと剃刀を手首に当てていた。

 その傷が五本目に増えた時、勤めていた信用金庫を辞め、東京という見知らぬ街で身体を売る女になっていた。

 浪岡芳子という、男に騙された女とは別人になりたくて、偽りの愛で男達から金を毟る女になった。

 ルカという源氏名で生きられる世界……

 漸く忘れかけようとしていたルカの前に、自分が浪岡芳子であった頃を思い出させる相手と出逢った。

 今、自分の前で苦しげにベッドで横たわる男……

 自分と同じ傷を持つ男に。




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