前略、肉食お嬢様―ヒロインな俺はお嬢様のカノジョ―


ぎこちなく右の手をのばし、彼女の左の手と重ねる。

先に重なっていた唇からこぼれる吐息。相手の体温。世界の音。


どれを取っても心を躍らせる。


弾力ある唇が離れては、悪戯気に戻ってきた。


「可愛い空」


人のド緊張した顔に一笑してくるあたし様に、


「嬉しくないっす」


俺は苦笑を返す。

こっちはいっぱいっぱいだというのに。


なのに彼女は俺を可愛いと連呼した。

男の娘というわけでも、美形というわけでも、小動物系というわけでもないのに。

平凡くんを可愛いと嬉々し、永遠に続けばいい時間だと彼女はおどける。


「空、今度家に泊まりに来い。来週は無理だが、再来週の土日ならば空けられる」


「え?」瞠目してしまう。


泊まり、に? 俺が先輩の家に?! え、えぇええええ?!


そんな滅相もない!

女の子の家に泊まるなんて、しかもお嬢様の家に泊まるなんて、申し訳なさと同時に別の意味で危機感を覚える。


「もっと空を知って良いのだろう? だったら、もっと親密にお互いを知る時間を設けても良いではないか」


そ、そうは言ったけれど、だからってなんでお泊りの話になるんっすか。


知りたい知って欲しいという発言はそういう意味で「それとも何か? やっぱり今日、ラブホで熱い一晩を過ごしたいか?」卑怯な問い掛けだ。


俺に拒否権なんてないじゃないか。

顔を顰めると楽しげに笑う彼女と視線がかち合う。


襲わない確証はあるのか、相手に聞いても先輩は笑うだけ。


「触れたいのは仕方がないではないか。空が、どうしようもなく好きなのだから」


完全に逃げ道が塞がれた。


「その代わり、今日のラブホはなしっすよ」


彼女にしっかりと釘を刺し、遠回しに承諾する。


「ならキスをしようか」


今日は初デート、仕切り直しだと眦を和らげ、鈴理先輩は幾度目の口づけを送ってくる。


泊まりだなんてサバイバルもいいところだろう。


先輩が俺を食うか、俺が先輩に食われるか、草食が逃げ切るか、肉食が捕獲しちまうか。



恐ろしい再来週の土日。正しくは土曜の夜。


でも今は近未来の恐怖より、目前の至福を噛みしめることが俺にとって大切のようだ。

薄目を開けていたその瞳を瞼の裏に隠し、水景のベンチでキスを交し合う。



初デートなんだ。

学院ではできないような、糖分多めのやり取りだって許されるだろう。


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