淡い記憶
「これ鍵、俺、先に行っとくから」
 青木は何も言わず更衣室の鍵を受け取り、
寒そうにタオルで体を擦り続けた。  

外に出ると晴れていて眩しい。春の陽差しが暖かく、
校舎の側にある桜の花も、殆ど散ってしまって、
黄緑色の柔らかな若い葉が茂っている。
これからどんどん暖かくなる。
そして、夏になるんだと陽一郎は思った。



 十一組の陽一郎は、お昼になると二階の教室から、
一階の五組の教室に行き、青木と話しをしたり、学食に行ったりした。

十組にいる田中と一緒に行くことも多かったが、
四組には、女子水泳部のキャプテンである太田舞子がいて、
青木のところに行くと、時々、太田が青木と話していることがあった。

水泳部の連絡事項もあっただろうが、
太田が青木のことを特別な気持ちで見ていることは、薄々感じていた。
 バレンタインディに義理チョコだと水泳部男子全員に配られたが、
それは、青木にあげたい為のカムフラージュみたいな感じだった。

青木本人は、彼女のことをどう思っているのか、
彼女の気持ちに気付いているのかも陽一郎には、わからなかった。
そして、聞いてみることもしなかった。

そうしなかったのは、陽一郎本人にもわからなかった。

 忙しい学校生活とクラブ活動の日々。
本格的に迫った大学受験の為に、塾は、より一層熱心に通うことになり、
塾から帰ると十時で、あとは宿題をして風呂に入ると寝ることになる。

その繰り返しで、遊ぶ暇もない。
塾では、ちょっと成績が悪くなるとBクラスに落とされ、
時間帯も変わってしまう。

常にAクラスを維持する陽一郎であったが、
青木は、時々Bクラスに落ちて、時間がずれることがあった。

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