偽りの仲、過去への決別
カズのおかげで松山は、相手を思いやる気持ちが芽生えた。だから父親の立場も少しではあるが、解ることことができた。 松山の両親は、カズの家庭の事情を知っていた。知っていたからこそ、いつでもカズがいても、嫌な顔せずに、受け入れてくれていた。 松山家の日帰り旅行や、行事、潮干狩りにも、カズを連れていってくれた。 それは、カズに対する同情もあるが、一番の理由は、息子である松山が、友達としてカズを大事にしていることからだ。 息子が連れてきた友達をこれだけ信用してくれることが、一番の愛情だと松山は気付いた。 松山先生は、何も言わず、息子の友達に愛情を注いでくれた。松山はこのことによって自分の父親に対する間違った考えを改め、松山先生の愛情の深さを知った。 松山は近頃、父親である松山先生に、少しではあるが、自分から話しかけるようにしている。 カズは、松山が羨ましかった。家族が身近にいることに慣れている松山が。 恵まれている時、それが当たり前だと思い、うまくいかないことがあると、不幸のどん底に落ち込んでいると思い込む人間が多いことにカズは、少なからず、疑問に思っていた。 ほとんどの親は、自分の子供が、イジメに対して、被害者になることを前提にイメージし、思い込んでいる。 なぜなら、加害者になることがいかに、社会的にいい理由ができない状況に追い込まれることを知っているからだ。 被害妄想のイメージのほうが、数多く想像できるからだ。 加害者のイメージほど、自分自身の罪悪感を呼び込み、今までにないほどの軽蔑と孤立を生み出す可能性が生まれるからだ。 だから、加害者意識を持つことに抵抗を感じ、そのことについて思考能力の停止をしてしまう。 人間は、誰でも自由に考え、想像や幻想を抱くことができる。 しかし現実は、決まり事や、規則、社会のルールに従って生きている。 自分の考えを、現実に照らし合わせても、その通りにことが運ぶ道理はない。 自分一人で世の中に存在しているわけではない。 たくさんの人間が存在しているのだ。