偽りの仲、過去への決別
ほとんどの人間が、お互いに妥協をして生きている。そこには、嫉妬や妬み、何をやっても努力しても報われない悔しさなどの人間のおぞましい怨念が渦巻いている。 嫌でもこの世の中に生きていく限り、逃げることができない現実だ。 だからこそストレスの軽減の為に、人間は気分転換が必要になる。 健全な思考を保たつ為に、運動をしたり、リフレッシュしたりして、一時、現実から離れる。 人間が生きていくうえで、現実逃避は、自分の思考を現実といかにマッチングさせていくうえで必要なことである。 しかしやはりそこには、ギャップが生まれてしまう。だからその隙間を埋める為に人間は、自分の立場が有利になる考えを持つことになる。 だから自分の思う通りにいかないことを世の中のせいにして、被害者意識を、生み出してしまった。 足元にある本当の幸せを見失ってしまった人間は、本当に不幸だ。 毎日を幸せに過ごせることに感謝せず、何かトラブルを抱えると、すぐに冷静さを失い、被害者意識を持つ人間があまりにも多い。 当たり前のことが、一番の幸せなのだ。 いじめの問題にしても、ほとんどの親は、被害者意識は、想像できるけど、加害者意識は、想像できずにいる。 加害者のイメージなんて、しょせん犯罪者のイメージと重なるだけだからだ。だから加害者意識を持つこと自体できないのだ。 誰でも人に嫌われることに、快感や幸せを持ち合わせてはいない。 否定的な考えの人でも、心のどこかで人との強い絆をどこかで求めている。 しかし自分をさらけ出し、生きることに抵抗を感じているからだ。 素直に現実を受け止めることが、いかに自分で困難にしているかを自分自身がわからなくしている。 辛いこと悲しいことをはっきり認識し、現実を自分の人生に受け入れてこそ、本当の意味での幸せが身近にあることがわかるのではないか。 事実カズが、学校で笑いものになっていた時、カズの両親がこの問題をもしいじめだと、判断して訴えたらだれが責任をとるのだろう。 クラスメートの親達は、責任を学校に押しつけ、学校はきちんとした対応よりも、責任逃れに従事する。
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