夕陽の向う
1-2

「今この事態を、自分はどのくらい正しく理解しているのだろうか?」

元は考えていた。
ぼんやりと思っていたというほうが正しいかもしれない。

自分が癌であることは、突然告げられたわけではない。
下部咽頭癌の診断を受けてからでも1年半以上たっている。

その間、治療もしたし、手術も受けた。
ただ、それらは、当初は治ることを前提にしていた。

それが、何度か手術や治療を繰り返すうちに、少しずつ 「違うかな」と感じるところが出てきていた。

今回の検査の結果としての“再発・転移”も、そのこと自体にはそんなには驚かなかった。
広い意味で“想定内”のことだ。

自分はこの癌で死ぬかもしれないという、漠然とした覚悟も、いつからか有ったような気がする。

睦子には言わなかったけれど。
口に出しては言えなかったけれど。


しかし、余命が3か月から6カ月だなんて。

「それって、本当のところ、どういうことなんだ? 
つまり、早ければ3か月後には、自分はこの世からいなくなるということだろうか。」

理屈では理解できる。
でも、自分自身のことなのに、自分の身に起こることとして深く考えたことがなかったから、全く実感がわかない。

でも、考えたからといってこの病状に何か新しい結論が出るわけではない。

電車が家に近づくころ、元の気持ちは少し違うほうに向かっていた。

最初に癌を告知されてから、1年半、抗がん剤の治療をし、放射線の治療をし、2回にわたる手術も受けた。


当初は、確かに、治癒すると信じていた。
でも、何度も治療を繰り返す間に、自分の心には、こうなること、つまり“死に至ること”を覚悟した部分が確かにあったのだ。

必ずそうなると思ったわけではない。
そうなる可能性があると知りつつ、そうならないで欲しいと願って引いたクジが外れだったような気分だ。
一か八かの賭けに負けたような。

だとすれば、今、自分は何をすればいいのか。
これまでも、今でも、自分がパニックにならずに済んでいるのは、ずっと励まし、支えてきてくれた睦子や家族や友達や、この社会のいろんな人がいるからだ。 

「この人たちに、何か伝えておくことは無いのだろうか。」

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