カウントダウン
 それから一週間の内に、浩はロンドンのアパートを引払った。ボストンバッグ一つを持ってパリへ、ユーロスターに乗車してやって来た。なけなしの貯金を全て引き出し、凱旋門近くのホテルアルファーに宿泊したのである。
 浩は求職活動に勤しみながら、合間に花の都を散策している。暗然たる思索に耽りながら。
(俺は一体何ができるのか。仕事も女も家族も放り出し、パリをうろついている。夢も無い。ただ生きているだけだ)
 パリは新年を迎えるべくクリスマスより引続き、シャンゼリゼ通りがライトアップされている。コンコルド広場の観覧車が夢幻の世界の太陽のような光芒を放ち、この世のものとは思えぬ魅惑の空間を現出している。
(パリは美しい)
 パリの壮麗さに浩はアリイシャの美容を連想したが、打ち消した。

 アリイシャがレストラン桜を訪問したのは、浩がパリへ旅立った翌日である。佐川から浩辞職の経緯を聴き、アリイシャは数日間涙で過した。やがて娼婦である自分の心情が、心底浩を恋求していることに奮起し、パリへ向ったのである。

 今日は大晦日である。今夜シャンゼリゼ通りでは、恒例のカウントダウンが行われる。話によればこの時ばかりは、誰とでもキスができるらしい。浩は別にすることもないので、今夜カウントダウンに出掛ける積りであった。
 昼間たっぷり休んだ浩は、午後十時過ぎにホテルを出た。パリ市街は静穏である。凱旋門を通過し、シャンゼリゼ通りに入ると、彼方此方のレストランやバーから、人々の歓声が洩れてくる。
(未だ早いな)
 シャンゼリゼ通りの人々は、疎(まば)らである。浩は街をぶらついてみようと、足を東の方へ向けた。
 パリ市民は来るべき新年に、備えている。警官も警備に従事し、ストリートに突っ立っている。
(来年。二00一年は二十一世紀だ。俺は一体どうなるのかな。二十世紀は散々だった。二十一世紀の俺は、浮浪者になっているかもしれない)
 浩は自嘲に、身を沈めている。ほっつき歩いて、何時の間にかコンコルド広場に出ていた。時計を見遣ると、午後十一時過ぎである。シャンゼリゼ通りは白人、黒人、黄色人等あらゆる人類で溢れていた。
 前方にはライトアップされた凱旋門が、薄らと眺望できる。左右の木々も神々しい。振り返ると光の球と化した観覧車が、魂の様に浩の瞳孔に入ってくる。

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