ウォーターマン
「久坂よ」
 首相官邸内で、磨生が久坂に呼びかけた。二人の交情(こうじょう)は大学以来不変であり、互いに呼び捨てあう仲である。磨生はカーテン越しに、二月の雪景色を観賞(かんしょう)している。昨年一月に権力を掌握(しょうあく)してから、両雄は丸で西郷と大久保の如く、凄まじい勢いで大和の国を動かしている。
「この雪が無くなると共に、俺はやる」
「愈愈(いよいよ)やるか」
 磨生は内閣制度を廃止して、宰(さい)政(せい)制度を施(し)政(せい)しようとしている。宰政は独裁権を持ち、任期は五年、三選禁止、国民投票によって選任されるポストである。磨生内閣の支持率は上々で、磨生の思い切った変革への賛美は、共産主義者、無政府主義者を除いて、日本列島を覆被(ふくひ)し始めていた。
 取り分け沖縄県人達は、磨生が米軍基地撤去を内閣の公約としていることから、圧倒的に磨生内閣を支持していた。
「宰政制度の実現と共に、犯罪防止法を発令し、犯罪防止官を各府市町村に常駐させて、犯罪をこの世からなくす」
 磨生が未だ子供の時分、磨生の母親は工員に殺害され、金品も強奪されていた。以降磨生は、犯罪者を憎忌(ぞうき)しきっている。
「その人を憎んで、罪を憎まず」
 が磨生の、犯罪に対する信条だった。
「ウォーターマンを、全国に配置する。犯罪防止官として。準備は、着々と進んでいる」
「ああ」
 磨生は満足そうである。
 ウォーターマンは昨日も、誘拐犯(ゆうかいはん)を誅殺(ちゅうさつ)していた。中学生の次女を取り返してもらった両親は、
「ウォーターマンは、私達の神様です」
 と涙を浮かべていた。被害者である少女は衰弱していたものの、命に別状はなかった。誘拐事件は関西で起きたので、ウォーターマンは未然に察知できなかったのである。
「犯罪者、共産主義者、無政府主義者に対する敵意は、今や公論となっている」
「素晴らしい世界を造るには、先ず、悪を退治することだ、という君の考えは、正しかった訳だ」
 久坂は一見文士の様な、つるりとした端正なマスクで、磨生を誉(ほ)めた。
「新しい世界は、善悪のはっきりした、悪のいない世だ。犯罪ゼロが達成された社会だ」
 二人は長年の夢想が実現に向かいつつある情勢(じょうせい)に、胸が高鳴っていた。
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