ウォーターマン
(急がねば)
 久坂は深呼吸をすると、喉(のど)をナイフで切り裂いた。鮮血(せんけつ)が室内を更に深紅(しんく)に染めてゆき、久坂は磨生の上に臥(ふ)した。遠のいてゆく意識下で、久坂は使命を果たした充実感と、間違いではなかったかという疑心(ぎしん)暗鬼(あんき)の境目を、磨生のデスマスクをうっすらと認容(にんよう)しつつ、尚(なお)も彷徨(さまよ)っていた。

 磨生の急逝(きゅうせい)は、日朝関係に重大な変化をもたらした。急遽(きゅうきょ)江見が宰政代理に選出され、日本と北朝鮮は臨時首脳会談を北京で開いた。両国共これ以上の要求はせず、過去は不問にふす、ということで決着をみた。創世党は二大巨頭を喪失(そうしつ)して、急速に支持を失っていった。政界は、弱小政権の盥(たらい)回し状態となって、古代ギリシャ末期の如く、衆愚(しゅうぐ)政治の奥深い穴へと、埋没していった。    
 十年の紛糾(ふんきゅう)の後、連邦議会は地球市民党政権下で、アメリカの一州となる道を選択し、日本という国家は地球上から消失することとなったのである。


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