一なる騎士
第1部 誕生

(1)予兆

 静かな、けれどもどこか緊張をはらんだ夜だった。
 薄暗い回廊をひっそりと歩く青年が一人。ランプの光がその姿をほのかに照らし出す。

 ほっそりとした長身を包むのは、黒い服。肩から幾重にも下がる飾り鎖が揺れ、暗闇にあざやかな金の光を放つ。
 髪と瞳も闇に溶け込む黒。まだ若い。少年の面差しを残した端正な横顔には、その若さには似合わぬ沈鬱(ちんうつ)な表情が宿っていた。足取りも悄然として重い。

 あたりには甘い馥郁(ふくいく)たる匂いが充満していた。
 しかし、己の物思いに捕らえれたままの彼はそれに気づかない。
 重い足取りのまま、中庭へと出る戸口を開いた。
 とたん、彼は凍りついたように立ち止まった。黒い瞳が驚愕に見開かれる。
 むせ返るほどに濃厚な甘い匂いが彼に襲いかかる。
 おもわず呟きがもれた。

「これはいったいなんの予兆だ」

 花が。
 花が、咲き乱れていた。
 庭に植えられたありとあらゆる花が、季節を無視して狂い咲いていた。
 赤や白や黄色や紫やピンクの花が、夜の暗闇の中、今が盛りと咲き誇っていた。

 まさしく百花繚乱。
 その光景を彼は時も忘れ、ただ茫然と見つめた。
 どのくらい、そうしていたであろうか。ぱたぱたと遠くから、軽い足音が聞こえてきた。

「リュイス、リュイス様~」

 彼を呼ぶ声が聞こえてくる。

「ここだ」

 我に返ったリュイスは呼びかけに答えると、やがて息せきってひとりの少女が駆けてきた。小間使いのお仕着せの紺のドレスに真っ白いエプロンを身につけた彼女は、よほど急いできたのか、息を弾ませ、栗色のお下げもほどけかかっている。けれど、また、紅く上気した頬は急いで来たためだけのせいではなさそうだった。それが証拠に青灰色の瞳は興奮に輝いていた。

「なにか用か、サーナ」
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