向こう側の自分
「なあ岡咲。一緒に帰らないか?」
清掃が終わり教室を出る時、飯島くんにそう声を掛けられた。一瞬躊躇った。――一緒に帰ったら玲を裏切る行為にはならないだろうか。
「えっと……」
「あ、もしかして他に帰る奴とかいんのか?」
特に一緒に帰る人も決まっていない。玲は補習だし、朋ちゃんはクラス委員のため学級運営委員会に参加していて帰りは遅い。しかも普段は格好良いのにこう言う時だけ仔猫のようなうるうると瞳を輝かせる飯島くんは卑怯だ。
「いや……うんいーよ。一緒に帰ろ」
あたしは鞄を手に取り、飯島くんと一緒に教室を出た。
「あー、暑い」
そう言って飯島くんは自分の手で顔を扇ぎ始めた。あたしは「ホントだね」と苦笑いで返した。
梅雨が漸く明け、初夏に入った訳だがまだ梅雨独特の蒸暑い夏が続いている。半袖のセーラー服も少し汗で湿っている。特に話す話題も無い訳であたしは必死に頭を動かし、ぱっと浮かんだ話題を声に出した。
「あのさー、飯島くん」
「んー?」
「身長何cmあるの?」
飯島くんは何回も言うがかなりの高身長だ。あたしは153cmとそこそこの身長である。因みに玲は159cmだ。
飯島くんは「何だっけー……」と唱え、少し経ってから曖昧に言った。
「167……8ぐらい?」
「嘘っ、おっきー」
あたしは飯島くんを見上げた。中学一年生にしてはかなりの高身長である。前かた分かっていたが大きさを教えられるとそれ以上に吃驚だ。
「は、特にそんなおっきくなんかねぇって」
「いやいやおっきいって。何食べたらそんなおっきくなんのさ」
それから他愛も無い話をした。此間のテストの結果、先生の話、怒られた事、友達関係、誕生日、自分の事。沢山沢山話した。楽しかった。でも楽しい時間があっという間に過ぎるって言うのは本当らしい。
気付けばあたしの家の前まで着いていた。飯島くんは送ってくれて「じゃあな」と手を振って一人で歩いて行ってしまった。あたしも手を振りながら飯島くんの後ろ姿を見送った。
さて、恐怖は此処からだ。あたしにとって『我が家』が一番の恐怖なのだ。あたしは生唾を飲み込み、我が家の扉を開けた。