向こう側の自分




 そろそろ電話が終わったかと一階の居間へ顔を出すと母はダルそうに此方を一瞥した。あたしは台所で麦茶を出してコップに注いだ。母が言う。

 「ああ……あんた、帰ってたんだ」
 「うん」

 こう言うのは過剰に反応しない方が良いのだ。スルリと交わす。それが本当の賢い遣り方なのだ。母は「っそ」と素っ気無く返事をし、煙草を一本出して火を付け咥えた。ふーと息を出せば白い煙が立ち上る。母はあたしがそれをずっと見ているのに気付いてにやにや笑いながら言った。

 「あんたも吸う?」

 そう言って煙草を一本差し出した。あたしは少し黙ってから「止めとく」と返事をした。すると母は怒ったのかあたしを台所から引き摺り出し、居間の絨毯の上へと投げ捨てた。

 「痛…………」
 「あんたも味わってみる? 煙草ってねえ、吸うより根性焼きした方がいー使い方だよ。これ、すっげえヤバイって」

 そう言うと母はあたしの剥き出しになった右腕に煙草の火を押し当てようとした。あたしは皮肉そうに言った。

 「ちょっと、腕は止めてよ。バレるじゃん。背中にして」

 母はそれもそうか、と納得したような様子であたしの背中を捲り、一気に熱い煙草の火を押し当てた。ジュッと皮膚が焼ける音がした。

 「ッ……!!」
 「あはっは、苦しいかい? 桐。でも慣れてるんじゃないかい? あたしは一体あんたに何箇所煙草の火を押し付けていったか分からないねえ!!」

 眼前の狂人は尚も笑いながら煙草をぐりぐりと押し付ける。耐えろ。耐えろ耐えろ耐えろ。此れしきで泣くな。もう何回もされてるじゃないか。

 目をぎゅっと瞑り耐えるあたしの耳に、母の悪魔のような笑い声が響いていた。
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