ホタル
一瞬、記憶の迷路に迷いこんだ。
あたしのことを『お嬢様』と呼ぶ人とは、もう随分長い間話していない。
困惑しているあたしに気付いてか、電話の向こうで再び声がした。
「あの…私です。梨華です」
随分口にしていない名前を呼んだ。電話の向こうで、梨華さんが少しだけ微笑んだ気がした。でもそれは、やっぱり気のせいだったのかもしれない。
切羽詰まった様な声が、再び届いた。
「あの、裕太さん、そちらに行かれてませんか?」
ドクンと大きく、心臓が跳ねた。
息が止まった気がする。
「え…?」
「裕太さん、二週間前から大学を休まれてるみたいで…、寮にも戻ってないと、寮から連絡があったんです。旦那様は、子どもじゃないんだから心配しなくても大丈夫だと仰ったんですが…」
私の独断で、お電話いたしました。そう続く梨華さんの声は、もう半分も届いていない。
あの日、キャップの下から覗いた裕太の表情が、何故だか薄れて見えた。