ホタル
何も言わない。
二人沈黙を守ったまま、あたしは冷蔵庫に手を伸ばした。
冷えた水が体内を流れて、少しずつあたしの頭をクリアにする。
それでも何を言うべきかわからないまま、あたしはリビングを後にしようとした。
「…朱音」
お父さんの声が、ドアノブにかかるあたしの手を止めた。
やっぱりどこか、裕太の声に似てる。
「わたしを…恨むか」
その問いは、あまりにも率直で。あたしには、何を答えればいいかわからない。
「確かにわたしは、家庭を顧みずに生きてきた。朱音を…裕太を、きちんと見ようとしてこなかった。…わたしを、恨むか」
ゆっくりと振り返った。
お父さんの背中を見るのは、いつぶりだろう。
…あたしはこの背中を、恨んでる?
「…恨んでもいいって、思ってるの?」
お父さんは、ゆっくりとワインを飲み干した。
「…それで二人が、関係をやめるのなら…いくらでも恨みなさい」
空になったグラスが、薄暗いリビングに寂しく光る。
「…なんで、」
「子どもだからだ」
はっきりと、お父さんは言った。