ホタル


涙を押し込むために目を閉じた。すうっと潮がひく様に、涙が奥へと戻されていく。同時に気持ちも戻っていった。
心臓の裏側、決して開けてはいけないパンドラの箱へ。


「ありがとう、英里」

瞼を開いたあたしはいつもの声の調子で呟いた。

「もう少し、待って。今はまだ、口にするのが怖い」

本当は口にする前に、あたしの中で粉々にしなきゃいけない気持ちだから。

「......わかった。もし朱音が吐き出したいって思った時は、いつでも聞くからね。遠慮なんてする関係じゃないでしょ?」

あたしの顔を覗き込む様にしながら上目遣いで言う英里に、あたしはようやく本当に微笑んだ。

「だね」

ローズの香りが少しだけ強くなった気がした。あたしの五感が正常に戻った証かもしれない。人工的なこの香りは、嫌いじゃないと思った。

「じゃ、戻りますか!そろそろ心配されてそう」
「金井さんに?」

ニヤッとしながら英里をつつく。

「そんなんじゃないってーっ」

ドアを開けながらそう言う英里だが、満面の笑顔が金井さんに入れ込んでることを証明していた。うん、いいかもしれない。誠実そうで綺麗な顔立ちの金井雅人さんは、英里にお似合いだ。


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