ハルジオン。
列車は少し焼けたタールの匂いがした。窓にもたれると、ディーゼルの振動が達也の胸を小刻みに揺らした。

列車が鉄橋に差し掛かったとき、潜水橋の上に人影を見た。

雨が降って、水かさが増えると川の中に潜ってしまうその橋には、水の抵抗を減らすために欄干がない。潜る橋だから潜水橋。町の人はみなそう呼んでいた。

人影は降りた自転車のハンドルを掴み、大きく肩で息をつきながら、横切る列車をじっと黙って見上げていた。

「……百合子」

何で?と達也は目を疑った。

誰にも言わずに家を出たはずだった。

いつものように目が覚めて、いつものように顔を洗い、歯を磨いて服を着替えた。

薄暗い居間にある両親の仏壇の前に立ち、額縁から母親の写真だけを抜き取って財布にねじ込んだ。

線香に火をつけ、一度だけ鐘を鳴らした。

最後に玄関の鍵をかけた。

もう二度とこの鍵を使うことはないと思いながら、それを家のポストに放り込んだ。


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