剣と日輪
憂国編新世界
 北太平洋の日色が、公威の四十八キロしかない裸体(らたい)を直射(ちょくしゃ)している。一九五一年師走(しわす)の南洋の風光は、船上のプールで一泳ぎした躯(く)殻(かく)を労(いたわ)るには絶好であった。
 デッキチェアに凭(もた)れ掛りながら、公威は煙草(たばこ)をのんでいた。手中には木下杢太郎の、
「某国某俗記」
 を携(たずさ)えている。朝日新聞特別通信員という肩書(かたがき)で、公威はプレジデント・ウィルストン号の乗客となっていた。梓の一高、東京帝大時代の級友、嘉治隆一朝日新聞出版局長の尽力(じんりょく)の賜物(たまもの)だった。
 海パン一丁で南国のサンシャインを浴びる心地よさは、公威がこれまで体感した事の無い種別(しゅべつ)の満足を提供してくれた。日光浴は以降公威の習慣に、嵌(は)め込まれるのである。
「仮面の告白」
 で文壇的地位を確立した公威は、万事順調だった。小説は無論、戯曲、評論、果ては映画にもチョイ役で出演し、繁忙(はんぼう)を極(きわ)めていた。
 そんな公威に、
「作家は一にも二にも努力だよ。今のうちに見聞を広めなさい。でないと偉大な作家にはなれないよ」
 と嘉治がアドバイスしてくれた。公威も頓(とん)悟(ご)するところであったので、同性愛を描いた力作(りきさく)、
「禁色(きんじき)」
 第二部の飼料(しりょう)となるだろう、と推量(すいりょう)しながら、諾唯(だくい)したのである。
「視野を広め、浮世をより深く識(し)るために」
 朝日新聞特別通信員となったのだ。
「鬼畜米英」
 と叩き込まれて過したハイティーンが、宿敵アメリカの土を踏もうとは。

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