剣と日輪
(泉下(せんか)の蓮田先生が知ったら、どういう顔をするかな)
 公威は時流(じりゅう)の移り変わりを、豪華客船上で恩師を懐旧(かいきゅう)しつつ、味わっていた。
 横浜を出航して一週間後の昭和二十七年元(がん)旦(たん)、プレジデント・ウィルストンはハワイのホノルルに入港した。少年期の敵国は、公威一行を暖かく迎えた。十一年前の、
「パールハーバーアタック」
 が嘘みたいだった。
 寄港時間は、僅か十時間であった。真黒に日焼けした公威は、ハワイに日系人が多数移住していると聞知(ぶんち)していた。初めての異国の土に足跡を印(しる)した公威は、
(俺の即席の色黒の肌が、日系人やハワイアンと大差ないな)
 と愉悦(ゆえつ)した。
 プレジデント・ウィルストンは、六日午前サンフランシスコに着岸(ちゃくがん)し、公威は二週間の船旅を終えた。二泊した宿屋はお粗末だった。晩飯は日本料理店で摂取(せっしゅ)したが、味噌汁(みそしる)はこの上なく不味(まず)かった。従業員は日系人らしかったが、日本語の応対ができない。
(それにしても、これは味噌汁ではない)
 公威は、
(メニューに偽(いつわ)りあり)
 と文句をつけようとしたが、止(や)めた。椀(わん)中のミソスープが、アメリカナイズされていく日本の行く末の様な気がした。公威はぞっとして、箸(はし)を置いたのだった。
 公威はその後、ロサンゼルス、ニューヨーク、フロリダを回遊(かいゆう)した。ロスからニューヨーク迄は、飛行機だった。公威は飛行中、
(墜落しないだろうか)
 と気が気でなかった。プロペラ機はジャンボであったが、快適なスペースではない。公威は文明の利器を、然程(さほど)信頼できない。一生飛行機嫌いだった。

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