剣と日輪
暁の寺編パレード
 楯の会結成一周年記念のパレードが、十一月三日文化の日と決まった。楯の会の事務所は新宿十二社にある小林荘に移転され、楯の会隊員の内、親必勝派の隊員もこのアパートに移住して、小林荘は梁山泊宛(さなが)らの活況を呈してきたのである。必勝は、
「楯の会学生長 森田必勝」
 の名刺を作成し、当面の課題である、
「国際反戦デー」
 と、
「楯の会結成一周年記念パレード」
 に向けて、公威と二人三脚で奮進(ふんしん)し始めたのである。
 十月になると公威はパレード来賓代表を川端康成に依頼すべく、鎌倉迄伺った。川端は応接間で公威と談諧(だんかい)し、昔話や、ストックホルムで行われたノーベル賞受賞式の際のエピソード等に花を咲かせていた。公威が、楯の会結成一周年記念パレード来賓代表の話しを持ち出すと、川端の表象が一変した。
「まあ、考えさせてくれ」
 白髪を乱しながら、語尾を濁したのである。
「そうですか」
「返事はこっちからする。一寸他のスケジュールと、重なるかもしれないから」
「はい。ではお待ち申し上げます」
 公威は川端が何時に無く曖昧なので、それ以上は言及せず、二十年来の師友の交態に信服して、鎌倉を後にしたのだった。
 その後川端からは連絡は無く公威は、
「お待ち申し上げます」
 と言明した手前、電話をかけなかった。それが十一月二日に待ちに待った川端からの電話をとった公威は、それまでの信頼関係を引っ繰り返すような川端の返事を、受話器の向こうに聞いたのである。
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