剣と日輪
 東京新宿は一年前同様デモ隊に市井の不平分子が混じり、機動隊と肉弾衝突を繰返す市街戦場と化していた。
 公威は、
「行動学入門」
 を連載している、
「PocketパンチOh!」
 という雑誌の腕章を付け、ジーパンをはき、シースルーの白色シャツの上に黒い皮ジャンを羽織り、皮の編上靴、レース用ヘルメットを被って、午後五時半前に新宿に駆けつけた。新宿駅西口のガード上から争闘(そうとう)を、
「取材」
 していた。身辺警護には山本一佐の部下が、カメラマンとして同行している。
 八十一名の楯の会隊員は無論動員され、待機していた。公威が密かに胸震わせていたこの日の雄略は、次のようなものである。
「デモ隊が荒狂い、機動隊の手に余り、自衛隊の治安出動が可能となった場合、楯の会隊員は全員抜刀してデモ隊に斬り込む。同時に山本一佐の同志が指揮する東部方面特別班も、決起する。尽忠報国の為とは言えデモ隊の人士を殺傷するので、楯の会幹部はその責任をとって屠腹(とふく)する。自衛隊は楯の会の志を引継ぎ、戒厳令下、東京を制圧し、憲法改正要求を政府に突きつけ、国防軍としての地位を回復する」
 このシナリオは現役の陸将や藤原岩市等によって蓋をされ、藤原は参議院議員選に出馬、山本一佐は自衛隊調査学校副校長に栄進して、楯の会から遊離していった。だが楯の会に対する自衛隊の訓練協力は、持続されていたのである。
 公威は、
「あわよくば」
 という期待感に胸を膨らませつつ、市街戦の真只中に飛び込んだのだった。
(若しデモ隊が機動隊を押し返し、事態収拾が困難となれば、否が応でも俺の描いたシナリオどうりにならざるを得なくなる筈だ)
 公威は眼下の戦塵に一喜一憂しながら、その時を待ち焦がれていたのである。

< 290 / 444 >

この作品をシェア

pagetop