剣と日輪
暁の寺編最終計画
 十一月十六日の、
「佐藤訪米阻止闘争」
 は、機動隊の圧勝に帰した。
 一方、
「反戦自衛官」
 なる奇怪な三曹も自衛隊内に湧出て、紙面を賑わせた。
 小西誠三二十歳は、航空自衛隊佐渡分とん基地レーダーサイトに服務していた航空自衛隊三等空曹であった。九月より自衛隊が七十年安保に備えて治安出動体制に入るや、
「沖縄解放」
「治安訓練拒否」
「ブルジョワ政府打倒」
 等と大書したビラ百数十枚を基地内に無断で貼り付けて異議を唱え、十月十八日より開始された治安出動訓練を、公然と拒絶したのである。
 十一月一日、基地内でビラ配りをしていた小西は、自衛隊警務隊に捕縛され、十一月二十二日、
「政府の活動能率を低下させるサボタージュを煽動した」
 として自衛隊法第六十四条違反の罪で、新潟地方裁判所に起訴されたのである。
 小西は、
「反戦自衛官」
 という美称をマスコミによって冠され、共産主義者や無政府主義者に持て囃された。
 裁判は昭和四十五年七月に開廷し、昭和五十年三月に、
「証拠不十分」
 という理由で無罪判決が下され、昭和五十六年に無罪が確定している。
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