剣と日輪
 公威は、
「反戦自衛官」
 の出現には呆れるばかりであった。
「最終計画案」
 というものを、楯の会幹部と議論していたのであるが、山本一佐や碇井陸将、藤原代議士等の 優柔不断な態度といい、反戦自衛官の登場といい、
(自衛官に、本当に祖国防衛の気概はあるのだろうか)
 と首を傾げざるを得ないような年末だったのである。
 そのせいか十二月一日に山の上ホテルで行われた、
「日本読書新聞」
 が企画した、
「尚武の心と憤怒の抒情 文化・ネーション・革命」
 と題する村上一郎との対談中、公威は不気味な予言をしている。話はクーデターを企てて、大菩薩峠で軍事特訓に励んでいた共産同赤軍派五十三名が、十一月五日に一網打尽にされた事件に及んだ。
 赤軍派は首相官邸占拠を目論見、
「十一月に死のう」
 が合言葉だったと言う。
 公威は共産同赤軍派の稚拙な防備体制を嗤(わら)いながらも引用し、
「あっちの人々は口先だけで実行が伴わなかったが、こちら側は首相官邸を占拠すると言ったら、必ず実行する。十一月に死ぬと言ったら必ず死ぬ」
 と自信満々であった。
 戦前は海軍主計大尉で戦後一時期三年間共産党員だった、歌人、小説家の村上一郎は、公威より五歳年長である。母方の先祖には水戸の志士がいる家系だった。
「武士に二言無し、ですね」
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