剣と日輪
「クルージングに連れて行って、見直させてやろう」
 と意気込んで愛息と愛娘を乗り込ませたのであるが、散々な船旅に終ってしまった。清水の旅館で海の幸にビールを流し込みつつ、
「全く天候に祟られた。御前達に波光煌く駿河湾の絶景を、楽しませてやろうと思ったんだが」
 と公威は残念がったのである。妻子は酔いすぎて新鮮な魚介類を余り味わえずに、早々に床に就いたのだった。
「今度航海する時は、もっとでっかい船がいい」
 威一郎はそう不貞腐(ふてくさ)れ、公威の面目は丸つぶれとなったのだった。
 翌十一日、伊豆急行下田駅舎に降立った外人があった。公威と小躯の白人は握手を交わし、再会を祝した。日本文学研究者で三島文学の海外における最大の理解者、紹介者であるドナルド・キーンだった。
 二人は三歳しか年が違わない同世代である。キーンは半年ずつ日本とアメリカで過ごす、コロンビア大学教授である。キッシンジャー米国務長官と、ハリウッドの映画監督、俳優のウディ・アレンを足して二で割ったような外見である。公威が最も信頼している文化人で、十三年の付き合いがある。
 公威はキーンをタクシーに乗り込ませると、下田東急ホテルへ取って返し、ホテルの部屋に招じ入れた。威一郎も紀子も昨日の苦しかった経験を忘れ、日本語の堪能な眼鏡の小父さんと戯れた。平岡家の寛ぎのルーム内で、キーンは公威の父親としての面を観察できた。
(天才文学者も、子供の前では一人の父に過ぎない)
 その後平岡家とキーンは、ホテルのプールサイドに降りた。威一郎や紀子がバシャバシャと遊泳しているはしゃぎ声を背にしながら、公威はキーンに、
「実はタイムズ東京支局長のヘンリー・スコット=ストークス氏も下田市内の民宿に泊まっています」
 と教えた。
 八月二日には
「ニューヨークタイムズ・サンデーマガジン」
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