剣と日輪
「輔仁会雑誌」
 に掲載された折、高等科三年生だった坊城は、
「秋二篇」
 を高評してくれ、
「君には文才がある」
 と言い切ってくれた。この世で公威の文才を初めて認めてくれた人物である。
 公威の文は、文学への鎮魂歌でもあった。文学というより文化人という珍種を、公威は忌嫌(きけん)している。文化人には共産主義者や無政府主義者が多い。公威は、
「共産主義・無政府主義者には、馬鹿か狂人か犯罪者しかいない」
 と実感しているだけに、彼等が多数を占める、文化・芸能の世界に馴染めなかった。
 学習院時代の文学は、そのようなものに穢(けが)されてはいなかった。だが今や、
「エロ・グロ・ナンセンス」
 の汚濁に文学は呑み込まれている。汚水は、
「敗戦」
 と共にアメリカによって押し込まれ最早、
「和の美」
 は排毀(はいき)されつつある。
 公威はその汚俗の尖兵たる、
「文化人」
 として死にたくは無かった。
 家人にも、
「万一私が死ぬような事になったら、戒名には武の一字を入れて欲しい。文の字は不要だ。自分は文人として生を終えるのは真平だ」
 と広言していた位だった。医者から武士になり、蛤御門の変で戦死した幕末の志士久坂玄瑞の様に、武人として世を終えたかったのである。
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