剣と日輪
花ざりの森編駅
 陽春が近付いている。公威は兵庫から東上後、群馬の工場には復帰せず、自室に篭っていた。表向きは、
「結核療養中」
 だった。公威は皇兵(こうへい)として国防に殉ずる道心から疎外されたのだ。後は敵国の爆撃機から無差別に落下してくる被弾で落命するか、本土決戦において竹槍を持って米軍戦車に突撃して行き、粉微塵(こなみじん)になるしかない。
(或いは)
 と公威は胸奥で本音を垣間見る。
(敗残の身にさえなれなかった鼠輩として、終戦後も生き抜く)
 公威の本心は生残りを熱望しつつも、体内に宿る別の理(り)義(ぎ)が、死に損じへの鼠思(そし)に、遣り切れない憤懣(ふんまん)を抱えてしまうのである。この矛盾した理(り)趣(しゅ)に悩みながら公威は、
「サーカス」
 を六日で載筆した。
 公威は、
「エスガイの狩」
 と共にこの短編を風呂敷に包んで日本橋の河出書房に出向き昨年、
「中世」
 に首を縦に振らなかった、
「文芸」
 編集長の野田宇太郎に託した。
 野田は公威作の二編に、相変わらず手厳しかった。彼は、
「暗夜行路」 
 等数々の名作を世に送出している白樺派の大御所、志賀直哉六十三歳と面識がある。志賀の息子直吉は、公威の学習院時代の級友だった。志賀自身も学習院OBで、東京帝大を中退している。
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