剣と日輪
花ざかりの森編東京大空襲
 一座は日暮時に前橋に着到し、投宿した。公威は大庭と同室となった。大庭は二人きりの寝所で、近頃頓(とみ)に巷で囁かれる反戦論を打ち始めた。
「グアムもサイパンも落ちたし、ドイツの劣勢も明らかだ。大東亜戦争は、神州の初黒星となるだろう」
 大庭は眼鏡を外し、ピントのぼやけた眉目(びもく)で独説している。公威も寝巻姿で、布団上に胡座(あぐら)をかいている。
「政府はソ連に、連合国との調停を依頼する腹積もりらしい」
「その噂は聞いています。でも、ソ連がそんな骨を折るとは、とても思えませんね」
「うむ。小磯内閣は口じゃ本土決戦だ、戦争完遂(かんすい)だ等と唱えているが、本心は戦争終結なのさ」
「ほら、ニ月に近衛公爵が、敗戦の必至と共産主義革命の脅威を単独上奏したろう?」
「らしいですね」
「近衛公は日ソ中立条約を締結した時の首相だからな。ソ連にも受けが良い筈だ。近衛公が出てきたって事は、あの話は本当なんだろうよ」
「そうですか。資本主義と共産主義は相容れないものなのに」
「藁をも掴みたい、それが日本の現状さね」
 大庭はくっくっと含み笑いをした。
「昔から国敗れて山河在り、というが、私の融資先の或る大手の陶器会社なんざ、戦災の埋合せの美名の下に、戦後を当込んで家庭用陶磁器の大量生産を目論んでるとさ。帝大生さん」
「はい」
「人間って現金だろう?」
「そうですねえ」
「戦争が終わったら、きっととんでもない世の中が来るぜ」
 大庭はニ、三度吐息すると、
(お前さんはその波を乗り切っていけるかな)
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