剣と日輪
「有難う」
「当然よ」
「では、ごきげんよう」
「ごきげんよう」
「又な」
 公威は、
(もう限界だ。これ以上引き伸ばせない)
 と悉知(しっち)した。誉聞(よぶん)たる悲愛として完結する見込みの無いロマンスに、公威は手ずから凡庸(ぼんよう)な結末を付加(ふか)するデステネイを、甘受(かんじゅ)したのだった。
 平岡家は五月の空襲後、世田谷区豪徳寺に住む倭文重の兄宅に疎開していた。座間の工場をずる休みして父母の許にいた公威に、予告された三谷からの封書が郵送されたのは、一週間後である。
 書面の内容は、公威の邦子への愛(あい)心(しん)が本物か偽物かを正面切って問うものであった。文面によれば、三谷家家中は真剣で、三谷夫人なぞは式の日取りまで広言(こうげん)している、そうだった。但し三谷は、
「君が本気であると信じているし、そうであれば嬉しい」
 と記入しながらも、
「イエス、ノーは忌憚(きたん)無く返事して欲しい。例えノーであっても君を恨まないし、友情に皹(ひび)が入る事は無い」
 と配慮していた。
(さて)
 公威は仮のマイルームの卓上に、封筒を裏返して置いた。揺曳(ようえい)している菜園の奥に、松陰神社が建っている。
(吉田松陰ならこんな事で、悩みはしなかったろう。松陰は生涯不犯だったのだ)
 公威は無意味な勝利感に惑溺(わくでき)した。それは苦悩の果てに辿り着いた愚昧(ぐまい)なものであったが、それしかこの閉塞(へいそく)から抜け出せる手段はなかった。
(俺は、邦子を愛していない。それだけの事さ)

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