1970年の亡霊
河津は、死んだ川合俊子の行動が監視されていたのは間違い無いだろうと言っていた。
三山も同意見だ。警視庁内部のコンピューターに入り込み、捜査内容を掴もうとしていた人間が居たからこそ、川合俊子は命を落とし、三山自身は二度に亘って襲撃されたのである。それも、河津が言うには、実際には三度だと言っていた。
朝岡由美子の話によると、下山課長から川合俊子のコンピューター監視を命じられた時期は、下山が赴任して間も無くの頃だったらしい。
一体何の目的で川合俊子のコンピューターを監視する必要があったのだろうか。
三山がサーバーの修復をしながら、川合俊子のアクセスデータ等を精査してみると、彼女は、まだ三山がサイバーパトロール課で勤務していた頃から例のサイトをチェックし始めていたようだ。
チェックを開始してから、実際の捜査へ取り掛かるのに、何ヶ月も掛かるという事はままある。
有害なサイトや書き込み程度ならば、数日で済むが、何重にもガードされたプログラムを解析し、発信元を割り出すのはそう簡単な事ではない。
他の捜査対象も抱えながらであれば尚更だ。その川合俊子を監視していたのが内部の人間だったのだ。しかも不正なアクセス方法で監視していた事に、三山は言葉に出来ない衝撃を受けた。それも、巧妙にワンクッションを置いてである。
ワンクッションの役割をしていた朝岡由美子は、間違い無く利用されただけであろう。
しかし、その下山課長は10.1テロで殉職している。更に付け加えるならば、爆発物に一番近くに居た事がその後の現場検証で明らかにされている。
まさか、消された?
そういう現実離れした考えも、これだけの事が立て続けに起きれば、少しも不思議と思えなくなっていた。
三山も同意見だ。警視庁内部のコンピューターに入り込み、捜査内容を掴もうとしていた人間が居たからこそ、川合俊子は命を落とし、三山自身は二度に亘って襲撃されたのである。それも、河津が言うには、実際には三度だと言っていた。
朝岡由美子の話によると、下山課長から川合俊子のコンピューター監視を命じられた時期は、下山が赴任して間も無くの頃だったらしい。
一体何の目的で川合俊子のコンピューターを監視する必要があったのだろうか。
三山がサーバーの修復をしながら、川合俊子のアクセスデータ等を精査してみると、彼女は、まだ三山がサイバーパトロール課で勤務していた頃から例のサイトをチェックし始めていたようだ。
チェックを開始してから、実際の捜査へ取り掛かるのに、何ヶ月も掛かるという事はままある。
有害なサイトや書き込み程度ならば、数日で済むが、何重にもガードされたプログラムを解析し、発信元を割り出すのはそう簡単な事ではない。
他の捜査対象も抱えながらであれば尚更だ。その川合俊子を監視していたのが内部の人間だったのだ。しかも不正なアクセス方法で監視していた事に、三山は言葉に出来ない衝撃を受けた。それも、巧妙にワンクッションを置いてである。
ワンクッションの役割をしていた朝岡由美子は、間違い無く利用されただけであろう。
しかし、その下山課長は10.1テロで殉職している。更に付け加えるならば、爆発物に一番近くに居た事がその後の現場検証で明らかにされている。
まさか、消された?
そういう現実離れした考えも、これだけの事が立て続けに起きれば、少しも不思議と思えなくなっていた。