1970年の亡霊
 その頃、加藤は柏原からの指示もあり、再度メモリースティックを調べてみる事にした。

 自衛隊に関係している者が、一連のテロと関わっていて、しかも自分が渡されたメモリースティックの中に、それらと繋がる何かが隠されているかも知れない。

 突飛なような推理だが、しかしそう考えて行くと腑に落ちる部分が少なくない。

 その一つに、収められていたデータの中に、朝鮮人名があった。

 それも一人二人ではなく、二十人近い名前だ。

 カタカナで表記された名前を柏原に伝えると、これまでマークして来た北朝鮮工作員には無い名前だと言った。

 ひょっとしたら、という思いがあった加藤に、

「だが彼等は幾つも変名を持っている。我々の知らない偽名を使っていた可能性も高い」

 と言い、加藤にその朝鮮人名の存在を調査してくれないかと頼んで来た。

 カタカナで表記された二十人以上の人物、しかも日本人ではないし、架空の名前である事が確実だ。

 加藤は、知る限りの情報源を使った。

 それは、二十年以上に亘って築いた現場捜査から得られた情報網を駆使する事を意味していた。

 加藤が一番期待していたのは、裏社会に精通している人間達からの情報であった。

 本庁の機捜へ入る以前からの伝手もある。そういった人間の一人に、シャブの売人が居た。何故シャブの線から捜査してみよう思ったのか。それは、昨今の日本に於ける覚醒剤事情による。

 現在、覚醒剤の密輸ルートは北朝鮮ルートが主流だ。北朝鮮という国そのものが、麻薬の密輸業者になっているし、日本に潜入している工作員の殆どがこういった犯罪に手を染めていたから、当然裏社会の人間との接触があると考えるのが自然だ。

 川合俊子が調べたものの中に、韓国人名や中国人名が多数あった。そして、君津海岸で発見された首無し死体と、習志野で自衛隊に襲撃された爆破テロ犯、李哲男の首。

 それらを繋げる糸が、裏社会の中にある可能性へ加藤は掛けた。そして、覚醒剤ルートの大本を仕切る人間と会う為に、加藤は新宿へ向かった。


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