―you―
5 年明けて幸せな気分に浸ろう
 私はあれから三度劇場に足を運んだ。ファイの子守歌は本当に良い。四度目の鑑賞の際、私は音楽関係者の友人を連れて行った。
「あの声はいいね」
彼はそう言い、私達は控え室にも足を伸ばした。
「CD?」
ファイのままの君は、私たちの予想とは少し違う声を上げた。
「どうかな」
「俺の声はダメですよ」
謙遜。私と友人は先を促した。
「生やマイクは良い。その場の声なら良いんだ」
「録るとダメなのか」
友人の言葉に君はゆっくりと頷いた。
「俺が脇役なのも、そこまでの力が無いからです」
 でもミュージカルは、舞台はその場のモノだ。俺はそれを楽しんでいるし、この仕事が好きだ。飛躍は望まない。君はこうも続けた。
「千尋さん」
君は私を真っ直ぐに見た。私は思わず背筋を伸ばす。
「好意に沿えませんが、でも、また見に来て下さいね」
 君の目はあまりに必死で、私はああと頷くしかなかった。そしてその後の君の表情が今までに見たことがない程奥深くて、驚いた。
 君はこんな顔もする人間だったのか。私は今更ながら君が大人で、また一人の女性であることを思った。
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