闇夜の略奪者 The Best BondS-1


 「ゼル! ゼル!!」
 何度名を呼んでも焦点が定まらないゼルの頬を思いっきり引っ叩いた。
 勢い余って往復ビンタになってしまったのは仕方ない。
 この状況で呆けるということが如何に危険であるのかわからないわけではあるまいに状況判断さえも吹っ飛んでしまった彼の精神的衝撃は計り知れず、エナは力技を余儀なくされたのである。
 その瞬間にも赤く腫れあがる痛みに彼は虚ろな瞳でエナを見上げた。
 「ゼル!! 呆けるな、しっかりしろ!」
 両肩を掴んで揺さぶるが、その視線は直ぐに逸らされた。
 「……ロウ……」
 頼りない小さな声は、もう戻らない過去への妄執。
 彼は身動きの取れない右手――義手を見つめていた。
 「……ロウ……!」
 その拳を握り締める。本当の手のように動くそれには血の代わりに感情が通う。
 ゼルは死神をゆっくりと睨みあげた。
 その瞳が赤く染まり、悲しみと怒りと悔しさが憎しみへと変わっていく瞬間を目の当たりにしたエナは目を細めた。
 眼差しで人を殺せるのならばこの一瞬で死神の命を奪っているに違いない激しい殺意が篭った眼差しは、切ないほど荒々しくエナの目に映る。
 「好い目だ。酷く心地が好い。私が憎いか、義手の剣士よ」
 華やいだ風でも受けているかのように、死神は恍惚とした表情でゼルを煽った。
 ゼルの目が更にきつく攣(ツ)り上がる。
 「望むのならば相手になってやってもよい……が、残念なことにお前では私に敵わぬ」
 エナはその言葉を黙って聴いていた。それはエナから見ても確かな事実だったから。
 やがて死神が再度大鎌を振り上げる時が訪れるまで、少しでも体力を回復しておきたかった。
 夕方から仮眠をとったものの、昨夜から動き通しで脳は既に限界を超えている。おまけに毒までいただいてしまったのだ。体力だけでも温存しておかないと、いざというときにただの一歩も動けなくなってしまう。
 「誰一人、守れなかった無念を抱いて死に逝け。それが似合いだ」
 堪えきれないといった風に死神は鼻で笑った。
 「テ…メェ……!」
 握り締めすぎた両の手。生身の手からは赤い液体が流れる。
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