闇夜の略奪者 The Best BondS-1
 「……成る程……お前が、かの有名な……」
 殺気の一片も無いままにこれ程の迫力を持つには相当な場数を踏んでいなければ不可能だと、同じように血の道を生きてきた死神は身を持って知っているのだ。
 男は答えなかった。だが、口元に浮かぶ笑みが傲慢に吊り上がる。
 「……お前を殺しはしない。だが、決して奪わせやしないさ」
 件の少女の命を、という意味では無かった。少女を含め、この男が興味抱いたものの欠片とて奪わせないと、そういう意味なのだ。この男から何か一つでも奪ってやりたい。そう思わずにはいられないほど無暗矢鱈に溢れる自信と余裕は死神が持ちたくても持ち得なかったもの。
 紅の男は半身を振り返らせて少女に気安い声を掛ける。
 「だけど、ほんとにいいの、エナちゃん? この根暗男、きっとまた殺すよ? 誰彼構わず。こんな奴の命の方が大事なの?」
 一人の命と複数の命。それを天秤にかけろと諭す声は飽く迄もどうでもよさそうなものだった。
 早く殺してくれと願う一心で少女を見て無垢な瞳とぶつかってしまった瞬間、死神は目を合わせたことを悔いた。
 惹き込まれて逸らせない。
 その唇が開かれたとき、耳を塞がねばと心が叫んだ。だが実際は腕どころか指先一つ動かず。
 「――選べ。」
 落ち着いた少女の声が凛と耳に響いた。
 その声が余りに透き通っていて。
 その声が余りに力を宿していて。
 そこに神の存在を見たと錯覚してしまいそうになった。
 言葉の真意がわからぬからこそ、啓示に似た其れ。
 「選んで。あんたが望むこと、ちゃんと向き合って、選んで」
 切実な声音に困惑する。
 この命の行方を握るのは少女だと思っていた。否、それはこの場において真実以外の何物でもない。だというのに、少女は命を天秤にかけることなく、選べ、と。そう言ったのだ。惑うなという方が無理な話である。
 「私は最早、選択の権利など持っておらぬ。決めるのは娘、お前だ」
 少女は溜め息混じりに斜め下を向き、眉を寄せて髪を手で乱した。
 「……石頭」
 ぼそりと聞こえた言葉は舌打ちつきの呆れ声。息を一つ吐いた少女は再び顔を上げた。
 「あんたが望むこと、何?」
 この命に終焉を。
 死神は心中でそっと想いを抱きしめる。

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