闇夜の略奪者 The Best BondS-1
 「……ねぇ」
 影が、落ちる。次の瞬間、思考という思考が奪われた。
 目の前迄歩み寄った少女はぶつかるように倒れこんで他人の血に塗れたこの体に腕を。腕を回したのだ。
 ――抱きしめられている。
 その思考に至るまで、ゆうに数秒を必要とした。
 現状を理解した後も体は硬直していて身じろぎ一つ出来ない。
 熱を持った少女から伝わる温もりが、痛い。
 「もう、いいよ」
 埋もれていた記憶を呼び覚ますような優しい声が耳元を撫で、死神は目を瞠った。
 「苦しまなくていい」
 回された腕に少し力が篭る。
 「悪役にならなくて、いいよ」
 少し掠れた直向(ヒタムキ)な口調は真摯さを伝え、その真意が見えずに惑う。
 それでも無視出来ず、内容に否応なく引き摺られてしまうのは、きっと。
 初めて向けられた類の言葉であるから。
 「生きてても……いいんだよ」
 心に風が吹いた――気がした。
 その風が、体に伝わる温もりを骨の隋へと運ぶ。
 死神はそっと目を閉じた。
 外界から切り離されたいと思ったわけではなく、ただ感じたかったのだ。
 温もりを、あの日の温もりに重ねたかったのだ。
 「……今更、変われぬ。変えたいとも思わぬ」
 瞼の裏に愛しい人の顔が浮かぶ。あの日のまま歳を取らぬ少女の残像。
 そばかすに愛情深い濃い緑の瞳。黒々とした肩までの巻き髪は硬く太くて、何度綺麗な髪だと言っても、その可愛らしい顔を膨らませていた。
 誰よりも愛しんだ、今はもう、世界の何処を探しても居ない人。
 「淘汰され、散り逝く運命(サダメ)そのままに。願うのは魂の安息ただそれだけだ」
 そして、この罪深い魂の浄化を願う。
 赤に染まる記憶から始まった、死神としての人生。
 愛してはならない人を愛した罪。そして、実の父親を手にかけた罪。
 そしてそれを背負って生きてきた罪。
 「……きっと、抱えきれなくなるくらい、辛かったんだね」
 更に力が篭った腕。その息苦しさに体の奥深くで何かが痛んだ。
 「感情放り出して、死を望んで……そうしなきゃ、壊れそうだったんだね」
 わかったような口をきく少女に怒りが擡げる。と同時に覚える相反する感情。


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