雨音色
それは静かな時間だった。


しかし、それは同時に、極めて居心地の悪いものでもあった。


かち、かち、といつもは気にならない、亡くなった父がいつかの昔に、


海外から購入してきた古時計の針の音がいやに耳に付く。


「・・・」


さっきから藤木は頭をフル回転させているが、目の前でしかめ面をする牧に、


何て言えば良いのか、分からなかった。


ちら、と隣を見る。


涼しそうな顔をする母親が呑気にお茶を飲んでいる。


もう一人の当事者である幸花は、未だ風呂に入っている。


残暑の残る夜、暑さからとは違う汗が、彼の額には浮かんでいた。


背水の陣、と言うのは言いすぎかもしれないが、


味方がいない、という状況からすれば、あながち間違っていない。


「・・・藤木君、君はどうするつもりなんだ」


ようやく、牧が口を開いてくれた。


何であれ、状況の変化に若干の安堵を覚える。


「・・・牧先生」


だが、やはり上手く言葉が出ない。


「君は、自分自身が分からない、そんな愚かな人間ではないはずだ」


鋭い言葉だった。


ぐさり、と胸の奥まで貫かれたような気がした。


彼は知っている。


今、どんなに自分が、愚かしい事をしているかという事を。


「・・・私も一緒に付いていく。とりあえず彼女を家まで送ろう」


「牧先生、でも・・・」


「何だ。君に反論できる資格などあるのか」


正論である。


まったくもって、正しい。


彼女は日本屈指の財閥の娘。


自分は貧乏な大学助教授。


どんなにあがいても、彼女と結婚できることなんてありえない。


そんなこと、知っている。


ずっと、そう自分に言い聞かせてきた。


何度も何度も、


逢いたくて胸が張り裂けそうだった時、


逢いたい衝動で、理性を失いそうになる時、


そうやって何度も、普遍の真理を、唱えてきた。


「僕に、反論できる資格なんて、ありません」


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