幕末異聞―弐―
九章:策士
深夜、新撰組屯所内を赤い着物の女が歩いていた。


(あ…歩きにくい)

白粉を塗った白い肌に、高級そうな真っ赤な友禅の着物を纏ったその女は、ある部屋を目指していた。


――スス…


女は無言である部屋の襖を半分開けた。


「…一言断ってから入れ馬鹿」


「うっさいわ。こうして毎日毎日朝から晩まで仕事して、それでも律儀に報告しにきてんやから細かいこと言うなや」

女は苛立った声で、行灯が灯る部屋の中の人物に文句を言う。

「そんなもん言い訳じゃねえか。んで?今日は何かあったのか?氷雨太夫」

片頬だけを引き攣らせ、人を小馬鹿にしたような笑顔は、この人物の得意な表情であった。


「…死ね土方」

「死ねって言った奴が死ね」

子どもの喧嘩とさほど変わらない低次元の言い合いをする二人。それは土方と氷雨太夫こと赤城楓であった。

楓は、倒幕過激派・吉田稔麿に加担していると思われる枡屋の店主、喜右衛門の調査を任されて以来、こうして毎日夜中に副長室へ報告に来ているのだ。


「奴が吉田と関っていることは間違いなさそうや。自分から吉田の名前を出しとったし、相当尊敬してる」

「他には?」

土方は煙管を咥えながら鋭い目で楓の報告書を読む。

「これはこれから監察に調べてもらお思っとったんやけど、奴の口からは頻繁に宮部鼎蔵の名が出てきた。
話し振りから宮部いう男は、吉田と枡屋の仲介役の可能性がある思うねん」

「なるほどな…。ところでお前、頼むからその格好で胡坐かくのやめろよ」


楓と対面する形で座っている土方からは、着物の裾から純白の長襦袢が見えるほど立派に胡坐をかく楓の姿が見えていた。
普通の年頃の女では絶対にあり得ない格好だ。

「卑猥なこと考えんで下さい副長」

「安心しろ。お前で卑猥なこと考える方が困難だ」

ぴしゃりと楓の冗談を言い伏せる土方の目は完全に冷えきっている。

「ふん。冗談の通じない男は一生一人もんで孤独死するで?」

「オメーも人の事言える立場じゃねーだろ!」

「うっさいわ!!もうええ!寝るっ!」

静寂に包まれた屯所内に響く二人の言い合う声。
当然、就寝している隊士たちは、誰一人この声を聞いていない…はずだった。
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