コーヒー溺路線
あの日、靖彦が珍しく彩子のいれるコーヒーを飲むと言ったあの日から、彩子はなんだか靖彦の様子がおかしいような気がしていた。
彩子が話しかけても靖彦は何かを考えているのか考えていないのかいまいち解らない表情で、どこか一点を見つめたままなのだ。
どうしたのかと聞いても返事がない。しつこく聞いてみるとはっと我に返ったように肩をぴくりと跳ねさせ、いや何でもないんだと言う。しかし彩子は納得できずにいた。
「靖彦、さん」
観念したのか、いつからか奈津は靖彦のことをぼそりと靖彦、さんと呼ぶようになった。奈津といると支配欲というものが満たされるからだろうか、靖彦はとても良い気分で仕事をすることができる。
その反動のせいなのか、靖彦にとって彩子はだんだんと厄介な存在になってきていることも分かった。
最近ではそれが態度にまで出るようになっていて、靖彦自身戸惑っている。
「どうした、奈津」
「今日はお弁当を作ってきたんです、一緒に食べませんか?」
「弁当?それは嬉しいな」
「良かった」
いつからか、この素直な奈津に溺れている自身に気が付いた。
まずいとは思いながら奈津といると妻である彩子のことなどどうでもよくなってくるのだ。
結婚してから恋をしても遅いのに、と後悔したのは言うまでもない。