椿戦記
李漢がどうしたものかと考え倦ねていると、不意に、孝廉は、身をよじって李漢の腕を逃れた。

何事かと視線の先に目をやれば、やがて扉の向こうからばたばたとした足音が聞こえてくる。

「リカンさーん!!」

と、扉を突き破る勢いで少年は飛び込んできた。
日に焼けた浅黒い肌に、ぼさぼさの茶色い髪の少年は、孝廉に気づくと、ぽかんと口をあけた。

一方の孝廉は僅かに膝をため、強張った表情をしていた。
その姿は李漢が内心恐ろしく思うほどに、どこにも隙がない。

李漢はやれやれとため息をつき、少年に話しかけた。

「シュナ、今、ソンニさんはどこにいる?」

シュナと呼ばれた少年は若干嫌そうに答えた。

「お母さんは畑だよ」

おそらくいつものように畑仕事を脱け出してきたのだろう。

「仕事はちゃんとしなって言ったろ」

李漢がたしなめると、シュナはつまらなそうに顔をしかめた。
その頭をわさわさと撫でながら、李漢は頼んだ。

「まあいい、ちょうどよかった。シュナ、この子の身丈に合う衣と肌着をソンニさんに借りてきてくれないか?」

途端に顔を明るくし、シュナはチラリと孝廉を見ると、一目散に、きた道を再びばたばたと駆け出していった。

騒がしいヤツだと内心ため息をつきつつ孝廉に目をやれば、相変わらず強張った表情をしていた。
せっかく開きかけた心をまた閉ざしてしまったらしい。

「孝廉」

李漢が呼びかけると、孝廉はなんとも言えぬ顔をして李感を見上げた。

「李漢殿……」

李漢は微笑んだ。
このお姫様は賢い。
人を見分けることができる。
だからこそ、その心にうける傷は深いだろう。

(とりあえず、言葉はなおさんとな)

気を使っているのだろうが、十やそこらの子が宮中で使うような最高敬語なんぞ使っていれば、普通の人にはどこの貴族の子供かと怪しまれてしまう。
まあ、孝廉の使う泰国の言葉はこのアショ国では通じないのだが、言葉を教える前に意識を変えておくべきだろう。
アショ語はおいおい教えていくとして。

(俺の姪……とでもしておくか)

「孝廉、もう少し言葉をくずしてくれ。わかるだろ?怪しまれるからな」

李漢は孝廉が戸惑うかと思っていたが、彼女はあっさりと頷いた。


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