ナイフ
“黙れ
あの人は来るんだ”
女は手にしていたナイフを一気に突きつけた。
敬語を使い続けた口が、ひどく暴力な言葉を怒鳴り散らした。
気が付いたときには、辺りには血と肉片だけが残った。
不思議と女の表情に恐怖も混乱もなく、自分の回りを五月蝿く飛び舞う蠅を潰し、五月蝿いものがなくなったという穏やかな表情だった。
女は再び血の海で男を待った。
女は同じ行為を繰り返した。
絶えることなく近寄って来る蠅虫を逃がすこと無く潰していった。
その輝くナイフただひとつで。
女は一本杉の下で待ち続けたが、男は現れなかった。
やがて女は、ナイフを握りしめたまま眠りについた。
その知らせは、男の耳に届くことはなかった。