あの日のキスを、きみに。
*06:思い出のキス

雨が、降る。
強く、強く。
地面に叩きつけられる雨が、時折泥までもを跳ねさせた。
絶え間無くトタン屋根に打ち付ける雨音が、うるさい。

そんな小さな小屋の一室、外界の喧騒から隔離されたそこで、偽りの恋人達は薄っぺらい愛の言葉を囁く。囁き、続ける。

ただの、言葉。
明日にはもう、他人。

愛してるだの何なの、あたしにはまるで関係ないし、興味はない。いつも、そう思って生きてきた。そうやって、夜の世界に身を投じてきた。

それなのに今、あたしの前に居るのは。一度あたしが確かに愛した、忘れられない人。

何でここに来たのか、なんて、聞く勇気も、資格も無いけれど。ただひとつ、彼が目の前に居るということは、彼が今日のあたしの相手だということだ。


「…、お前、」

「黙って。」


あああ、雨がうるさい。
何も聞きたくなくて彼の唇を塞げば、何となく懐かしい、今までとは違う感覚が蘇る。

あたしが彼の背に手を回せば、彼の手はあたしの腰へとそえられる。それさえも懐かしくて、愛しくて。苦しかった。

彼との思い出が蘇る度、こうやって苦しくなるから。だからあたしは今まで、汚らわしい行為で綺麗な思い出を塗り潰してきたというのに。

彼を捨てたのは、あたし。
吹っ切れなかったのも、あたし。

それでも別れなきゃいけなかったのは、あたしの未来がみえないから。残された日々が、僅かだったから。

なのにこんなカタチで、再会してしまうなんて――…最悪だ。

雨は、未だやまない。激しい雨音が、鼓膜を刺激し続ける。

…――ねぇ、

もし叶うなら、今だけは彼に溺れてもいいですか?本当に、今だけ。日が昇るまででいいから、彼との思い出に浸らせて。

あの頃――あたしが彼の彼女だったころのように。あの時のまま、彼の瞳に映らせて。

どうせもう、一夜限りの恋なのだから。





  思い出のキス


  ( あたしだけを見て )
  ( 今だけは、 )
< 6 / 10 >

この作品をシェア

pagetop