Fahrenheit -華氏-

「じゃああたしも~♪」


どこからか聞きなれた声が聞こえて俺は慌てて振り返った。


ブースの入り口に綾子が腕を組んでにこにこしていた。


「綾子。お前何で?」


「失礼しちゃうわね。東星紡の去年の稟議書が欲しいからっていったのはあんたでしょ?」


バサッと俺の頭に書類を置きながら綾子が目を細めた。


そう…だった。


「あたしこれから会長と韓国に出張なの。2、3日帰らないからこれ先に渡しとくわ」


「おう♪サンキュ」


俺は書類を綾子から受け取った。それからちょっと柏木さんの方へ目配せすると、「頑張ってね☆」と微笑んで、軽やかに行ってしまった。


柏木さんが俺の方を見て、ちょっとまばたきをする。


「あの方秘書課の…木下リーダーですよね。仲いいんですね」


「え、綾子?うん、まぁ同期だし?」


俺は柏木さんの言葉を軽く流して書類を捲った。


「美人ですね。親しくされてたんですか?」


柏木さんがちょっと間をおいて口を開いた。


この場合の“親しく”ってのは“恋愛関係にあった”ってことだ。


俺はびっくりしてちょっと目を丸めた。


「部長と木下リーダーがですか?それはないですよぉ」


と佐々木がカラカラと笑いながら、手を振り振り。


ナイス!佐々木。


て言うか誰があんな男女と付き合うかっての!


「そうそう。気の合う男友達みたいなもんだよ、あいつは」


「そうなんですか」


そう短く答えたきり柏木さんは黙り込んだ。


綾子に嫉妬してる……とは思えなかった。





でも彼女の「そうですか」にはまだまだ深い意味が含まれてそうだ。




俺は柏木さんが苦手とするもう一つのものを見つけた。






それは―――




恋愛だ。









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