狂犬病予防業務日誌
「随分と用心深いですね」
 荒縄を解いてガムテープを剥がしていく手間を考えると嫌味を言わずにはいられなかった。

「歩いて運んでくる途中で落として穴を開けないためだ」
 廃校に置き去りにされたピアノの鍵盤のようにほとんど抜けた歯を見せつけて老人が微かに笑う。

「犬舎まで運んでもらえますか?」
 おれは事務的な口調で指示した。お年寄りに思いやりがないと言われそうだが、自宅からここまで運んできたわけで無理な注文とは思わなかった。

 老人は驚いた表情で目を大きくする。「ワシが運ぶのか?」という心理がありありとわかる動揺ぶりだ。

「あっ、いいです。私が運びます」
 前言を撤回した。おれは人として欠けているところがあるようだ。それがなんなのかじっくり考えて反省しようとは思わないが……。

 段ボール箱を間近で見ると空気穴さえないことがわかり、おれの眉は気遣わしげに寄った。
「死んでるんじゃないですか?」

 犬が密閉された空間に閉じ込められているとなると窒息死しているかもしれない。そうなれば対応が変わってくる。

 道路などですでに死んでいる犬や猫の遺体は役場の住民課が処理することになっている。いわばゴミ扱いされ、町外れの焼却場へ直行する。死んだ犬や猫を保健所に持ち込むことはお門違い。



 
< 17 / 49 >

この作品をシェア

pagetop