狂犬病予防業務日誌
 次から語られた老人の話はできることなら否定したい。おれの胃袋にまたしても鉄球が1個追加されて負担となったのは少しでも信じてしまった証拠だ。

「気をつけろ!その犬の好物は血……血なんだ!」

(フラン犬の話をしたあとにドラキュラ犬とは……)

「ワシは病気の妻を残して出稼ぎしてるんだが、ことの始まりは3週間前の電話だった。“寂しいから犬を飼うことにした”と。ペットショップで犬を飼う金なんてないはずだからおかしいなと思い、どうしたんだ?と訊くと妻は笑って言った。“拾ったのよ”って。

 2週間前の電話では“犬がエサを食べないの”と相談してきた。

 1週間前にも電話があった。“実は家に来てから水を飲んでいるところも見てないの”と。妻はひどく落ち込んでいた。おまえが寝ている間に飲み食いしているんだろうと言うと不満そうに“そうかしら”と返事して電話を切った。

 5日前の電話では元気のない声で“水とエサの容器の重さを量って確かめたけどどっちも減ってなかった”と訴えてきた。ワシは怒鳴った。そんな犬捨ててしまえ!とな。

 そして2日前にかかってきた電話で妻が言った。“やっと犬の好物がわかったの。血、私の血をおいしそうに飲んでくれたのよ”と喜んでいた。それが妻の声を聞いた最期になった」

 拙速すぎるかもしれないが最期という言葉の裏に死が見え隠れしている。どこまでが作り話なのか聞いていて気分が悪くなった。

(全部作り話だ!)

 老人が犬を処分したがっている気持ち、人間の気分次第で処分されていく犬の気持ち、保健所では人間の醜い心は2100円で報われ、犬の純粋な心は踏み潰される。


 
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