狂犬病予防業務日誌
 犬もいなければ警備員の竹山さんがいない休憩室にはもう用はない。しかし、あるモノを無視しようとしても視線が吸い寄せられてしまう。なぜならその白いドアに赤い斑点が付着しているからだ。

(まさか……)

 冷蔵庫の中に身も凍るモノが入っているのではないか。警備員の竹山さんが殺人鬼の狂気によりぶつ切りの肉の塊となって保存されている……途方もなく恐ろしい妄想が浮かんだ。

 おれは小心者だ。不安要素がすぐに頭を支配してしまう。カブトムシを冷蔵庫に入れたことを忘れ、一家団欒のひと時を台無しにした過去が冷蔵庫に対して嫌なイメージを植え付け、記憶の基礎となり根となって離れないでいる。

 記憶は引きずる。

 おれが現在一人暮らししているアパートに冷蔵庫はない。だから自分で料理して食べる習慣がなく、もっぱらコンビニ弁当かカップラーメンで空腹を満たし、夏場は近所の自動販売機で冷たいものを買って喉を潤す。

 生活するうえで冷蔵庫は欠かせないと思っている人は多いかもしれないが、慣れとは恐ろしいものでいまでは不便さを感じない。無理をしているわけでも意地を張っているわけでもない。

 冷蔵庫の存在を消して苦い記憶を掘り起こさないための策だが、100パーセント排除することは困難。テレビで冷蔵庫のCMが流れるたびに胃が重くなる。おれの生活空間に冷蔵庫があったらと思うとゾッとする。

 このままだとストレスで体が象のように重くなって床を抜け、奈落の底に落ちてしまうだろう。いつかは克服しないといけない。



 
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