ある一日
4.視線(死線)
奇妙に張り詰めた空気。突き刺さる視線。何もかもが自分に向けられる。意味も無く。
振り返れば、そんなものは無く広い空間だけが残る。視線を元に戻すと、また同じ。気のせいなのかそれとも本物なんだろうか?そんなやりとりが数時間続き、私は心身共にへろへろになった。
 「眠ればいい。眠ってしまえば身体は楽になる・・・・・眠れない。何で?」
頭が妙にバチバチと火花が出るように冴え渡る。時刻は夜中を迎えている。いわゆる丑三つ時を迎えた時間だ。大体の人なら眠って夢の中なのだろうが、私は眠るどころか、ますます頭が冴え渡る。仕事の量が足りなかったのか?上司や、同僚から怒られることはなかったはず。ましてや落ち込むほどの出来事も無かったのに何で?
考えても考えても答えは見つかないまま時間だけが無駄に過ぎて行く。あまりにも入眠の悪さにイライラした私は、布団から這い上がり、居間にどかっと座り、タバコに火をつけた。時刻は夜三時になろうとしていた。
 「何故だ、何故眠れない・・・あと数時間もすれば仕事が始まるのに。今関わっている仕事は絶対に外すことは出来ないし、ましては休むことすら許される物ではない。寝なければいけないのに寝れない・・・しかもさっきから妙な視線を感じる。この視線は仕事をしている時と同じ・・」
 タバコも三本目に入った。睡魔が襲いかかって来ることは無い。もう、徹夜するにも時計は午前四時を誘うとしていた。さすがにこの時間に寝ても、一時間程度しか寝れないし布団に入っても寝ることは出来ないだろう。
 「はぁ・・・」大きなため息をつきテレビのスイッチを押す。
テレビは、通販番組がなんかの商品を宣伝している。厚底鍋と良く切れる包丁のセットで
一万円!と司会者が声を大にして宣伝している。「こんな時間帯に買う人いるのか?」
と疑問に思えてしまう。タバコもすでに五本目に入った。普段、タバコは一日に二、三本程度しか吸わないのに、今日に限って多めに吸っている。しかも、吸い終わるのが早い。
 「もしかして、寝れないのはタバコが原因なんだろうか?でも、寝る前にタバコなんて吸わないし・・・・はぁ・・仕事行く準備をしよう。仕事すればこんなことも無くなるだろうし。たまたま、そうたまたま今日は寝れなかっただけ。仕事に行き、疲れるくらい仕事すればぐっすり寝れる。それにビールを飲んで寝よう。よし!」
私はスーツとパンツを履き、髪型や髭を整え、歯磨きを終わらせ家を出た。
 頭がぼぉっとする。一睡もしないのがたたった。車での通勤が無いのが救いだ。駅に向かい、いつも通りの改札を通るが、ブザーがなる。
 「あれ?おかしいな。これであってるはずなのに・・」
もう一度通すが、ブザーが鳴る。やがて、駅員がやってきた。
 「どうかされました?」
 「いや、カード通してもブザーが鳴るんですよ。残高はまだあるんですけど・・」
 「お客さん、これはICカードじゃなくて、クレジットカードですよ。これじゃ改札通るわけが無いですよ」
駅員は「ハハハ」っと笑ってどこかへと行ってしまった。もう一度確認したら、確かにクレジットカードだった。ICカードとクレジットカードを間違えるなんて・・・寝てないのが祟ったのかもしれない。まだ時間も早かったので、人もまばらだったのが幸いだった。もし通勤ラッシュ時にこんな事になれば、ブーイングの嵐になるのは目に見えている。
私はクレジットカードを財布に直し、ICカードを取り出し。改札を通過し、時刻表を確認して、電車に乗り込んだ。会社までは三十分。
少しの間だけ寝ようか、寝まいか迷う。いつもならスマートフォンを取り出して音楽を聴いたり、ニュース記事を読んだりするのだが、今日に限ってはそんな気も起こらない。
ただただ、ぼけーっと天井を見るくらいしか出来ないというよりそうした方が楽だからだ。
 会社近くの駅に到着し、ふらふらになりつつも降りて、改札口へ向かう。今度こそは間違えないようICカードを取り出し、改札を通った。その瞬間、何かをやり遂げた感じがして褒めたかったくらいだ。
タクシーに乗り込み、いつもの場所まで運んで貰い料金を払う。タクシーから出ると、いつもの高層ビルに囲まれた建物が私の勤務先だ。
いつものように、入ろうとしたが、どういうことか身体が動かない。足を動かそうにも石のように堅くまったく動く気配が無い。誰かが足を掴んで離さないのか?と思い、顔を下に向けるが、何も見当たらない。もう一度足を動かそうとしたが、やはり動かない。このやりとりが数分続いた。何をどうあがいても動かない。途方に明け暮れていたときに、同僚に声かけられた。
 「おはよう。何してんだ?」
 「ああ、おはよう。身体が動かないんだ」
 「はぁ?なんで?」
 「分からん。とにかく、俺を引っ張ってくれないか?」
同僚は私の身体をグイっと引っ張ると、私は倒れるような体制になった。さっきまで石のように堅かった身体がみるみると柔らかくなり、コンニャクのような状態だ。そう、本当にコンニャクみたいに・・・

 白い天井と目があった。周りを見渡すと、ふわふわと風船のような泡が上へ上へと上がっていく。私はそれを見続けていると、それらはパチンとはじけ、中からヒラヒラと舞ってきたのは紙だった。私はその紙を取り、
見ると無数の目が描かれてるだけだ。だが、その目は狂気としか言いようが無いくらいの目だ。真っ黒の目の輪郭に真っ赤に染まった眼球。硝子体も真っ黄色に染まりまくっている。私は声も出ずにただただ目を見ていた。
周りが見たら、『何これ?』としか言えないだろう。だが自分が見たら何故か惹きつけられ、笑顔までが出てしまう。そうか、妙な視線を感じたのはこれだったのか。全てがはっきりした。正体不明の出来事が分かると胸がスッとする。何もかもが解放されてまるで天に昇るくらいの爽やかさだ。こんな出来事は今まで想像したことが無いくらいで大笑いしながら凱旋をしたいくらいだ。いや、全裸でも良い。とにかくそのくらいの爽やかさが自分に取り憑いている。しかし、残念ながら私がいる部屋は真っ白であり、目で見える範囲でしか無い。何かが足りない。何が足りない?いや、足りない物は無い。全ては整っているんだ。後は突破口を探すだけ。どこかにそれはあるはずだ。私は身体を立ち上げ、辺りを探し始めた。そう言えば、身体が元に戻っている。あんなに堅かったり、コンニャクのように柔らかかったはずだ。もしかしたら単なる気のせいだったかもしれない。さて、どこから探してみようか・・・・

 一通り探してみたが、それらしいモノは見つからなかった。私はへたり込んでしまい、肩を落とす。もう一度、辺りを見渡す・・がみつから・・・ん?私は目を凝らしてそこを見た。穴だ。穴がある。さっき見たときはこんな穴はなかった。僅かな小さい穴。指一本は入るだろう。試しに穴を入れてみた。柔らかい・・・その柔らかさはコンニャクのようだ。もう一度、穴を入れてみる。フニャフニャして気持ちが良くて癖になりそうだ。
面白い。面白いが、これだけなのか?他に何か無いのか?もう一度だけ、私はその穴に指を入れた。ズボッ!!と言う音がして指が穴に引き込まれた。
 「うわ!!」と声と同時に指を抜こうとするが、抜けない。その穴はどんどんきつくなり、今にも私の指を食いちぎろうとする勢いだ。激痛が走り、血も出始めている。ヤバイ、これはヤバイ。痛みに耐えながら、一生懸命に指を抜こうとしたときに目が浮き出てきた。
紙に書いていたあの目だ。目は私をあざ笑うかのようになおも穴に力を入れる。そして、目は私に問いかけ始めた。
 「お前は死ぬためにここに来たのだろう?
なぜ、そんなに生きようとするのだ。私に惹きつけられてここに来たのだろう?なぜ、そんなに頑張っているのだ?そんなにもがいてあくせくしても無意味だ。いっそうのこと、私と同化して永遠に無を刻めば良い。なあに、お前のやることは簡単だ。ただ、寝るだけだ。
寝るだけがお前のやることだ。そんなにもがくならもっと苦しめてやろう」
目は更に力を入れ、私の指を圧迫させる。やがて、『ごりゅ』という音がした。その音に私は絶叫した。指が折れたのだ。
 「どうした。指が折れたくらいでそんな大声を出すなよ。死にたいのだろう。だから協力してあげてるんだよ。もしかして、死ぬのが嫌なのか?人間というのはいつか死ぬんだろう?不老不死なんてのは存在しない。ただ死ぬのが早く来ただけなんだよ。さあ、早く受け入れろ。受け入れなければ、お前の身体を喰ってしまうぞ」
 「や、や・・めろ・・・俺は死ぬ・・ためにここに来たんじゃ無い!ただ・・その・・目に・・惹きつけられただけだ!」
 「お前は何か勘違いしているな。私の目は死を表す目なんだよ。お前は今まで何か奇妙な視線を感じたことはなかったか?取り払おうにも取り払えない視線。何かに追われるときも解放される時も、視線が気になって仕方無かったはずだ。どうだ、間違ってはないだろう。それを今、お前に教えてやる」
 「ま、まさか・・・」
 「そのまさかだよ。お前が感じてた視線の正体は俺なんだよ。ついでに言えば、俺はお前さ。俺はお前のだらしなさに喝を入れるために視線を送った。だが。お前はそれの意味を分からず、ただ無意味な日常を送り続けていた。昨日は一睡も出来てない。そうだろう?教えてやろうか?俺が一睡もさせずに視線・・いや、死線を送り続けた。分かるかこの意味を。死線・・・つまり、お前はもうじき死ぬ。死んで骨になる。しかし、お前は若い故に死にたくは無い。身体も精神もボロボロなのにな。俺はそう願いつつ死線を送り続けたんだよ。あきらめろ。もう生きる必要は無い。それでも生きたいのか?」
 「・・・い、生きるに決まっているだろ?
例え、身体や精神がボロボロになっていようが、いずれは元に戻る。今ここであきらめてどうするんだ。それに、あんたは私じゃ無い。
たんなるまやかしでしか無いんだ!」
「ほぉ、つまり、俺の存在はまやかしか。まやかしなら、お前は存在しないな。いや、お前存在自体がまやかしだったんだよ」
目は更に睨みを効かせ、私の腕にまで浸食し始めた。『ごりゅ、ごきゅ』という音をたてて飲み込んでいく。必死に我慢するが強烈な痛みには耐えきれず、発狂に近い絶叫を吐きだしており、血の量も半端ない。
 「どうした?辛いか?我慢しなくても良いんだぞ。人はいずれ死ぬ。それを受け入れるだけだぞ」
目は更に力を入れ、私の身体を飲み込んでいく。すでに身体の半分までに飲み込まれ同化しそうなくらいだ。
 「あきらめろ。受け入れろ。これ以上もがいても助かることは無い」
 「い、嫌だ。あきらめない・・・私はま・・だ・・し・・ぬ・・・わけ・・には・・」
目に全身を包まれ、私は闇になった。真っ黒で何も無く、光も無い。手探りでも何も届かない。ああ、私はもう無の存在になったのか・・私はずっと必死にもがいて生きていた。
何があろうとどんなことが起きようと、全てを受け入れてきた。それなのにこの仕打ちはなんだろうか?あの視線は私への当てつけではなく、死を迎えるものだったと目は言った。
とどのつまり、私の死は早く来るというものであり、それらは変えることが出来ないあるいは遅れるくらいで結果的に死を招くのは時間の問題だったということだ。
なら、受け入れようじゃ無いか。変えることが出来ない運命なら・・・・

 
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