ありのまま、愛すること。
「なぜなのか」をつねに言いつづけることは、子どもを育てるうえで大事なこと。

「これをしなさい」「こうやりなさい」とばかり言っていると、子どもは言われたことをただやればいいんだという考えにしかなりません。

でも、「なぜなのか」を問いつづけることは、子どもが深く考える習慣を身につけることにつながるのです。

「ああしろ」「こうしろ」を徹底すると、子どもたちは思考停止になってしまう。

そうではなく、「だからどうしたの?」「どうしようと思ったの?」とつねに聞き続けることで、子どものイマジネーションはどんどん広がり、深く考えるようになる。

私はこれが教育だと考えています。


妻と私では、子どもの教育方法は異なりました。

息子たちは、「お母さんから厳しく育ててもらったことにとても感謝している」と、いま話します。

そんな素晴らしい子育てをしてくれた妻に、私も感謝しています。

妻と私は、子育てにおいて役割分担が自然にできたのだと思います。

妻が言うには、私の子育て方法は、親が指示を与えなくても自分で考える力を、子どもたちに身につけさせたようだと。

父親は、広い意味で「先のことを読んで」注意することが多いでしょう。

私は「将来なにになりたいかを考える場合、まず勉強が大切だ。でもなぜ、勉強が大切なのだろう、考えてみよう」という類の話を多くしてきました。

一方、日ごろから多くの時間を子どもと過ごしてきた妻は、食べ物の大切さやお金の大切さを、口うるさく伝えてきたのです。服をたたむこと、食べたあとの皿を片づけること、日常のマナーも、厳しくしつけました。

ある部分で、私は子どもたちに甘いからこそ、妻はそこを制するという意識があり、それが子どもたちの教育に、幅を持たせたのかもしれません。




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