ありのまま、愛すること。
郁文館の子どもたちのお母さんを見ていても思うんですが、やはり、母親というものは、自分が母親に愛されたのと同じように、自分の子を愛するんだなということ。

どんな子にとっても、その母親は世界一の存在なんです。

ただ私は、母から受けた愛情が10歳というポイントで止まった、それがよかったと思います。あるいはもし、大学生までもそれがつづいていたら、私は道を逸らしていたのかもしれない。

親というのは、自分が愛情を注ぎたいから注ぐというものでも、ダメなんです。

ものすごく繊細な「子ども」という生き物がいて、すべて受け入れてあげることが大事なんですが、そのとき、どういう形で愛情を与えていくのかということは、ある程度、戦略的にやらないと、子どもはしっかりと育たない。

教育に関わるようになったいま、そう思うのです。

特に、最近の父親は“友だち父子”をしたがるから、子どもが友だち感覚でいるならば、自分はいい父親なんだと勘違いをしています。

厳しくして、自分が嫌われるのは嫌でしょう。

でも、子どものためにあえて厳しくしなければいけない、この一線は許さない、という強い気持ちは、父親が持たなければいけないんです。

両親がつねに、子どもの情報を共有して、そのうえで子どもにとっていま、何が必要なのかを確認していくことが大事なのではないかと思います。

私は、父と子の勉強会というのをずっとやってきましたが、それは母、つまり私の妻がとても厳しい人で、その厳しさがベースにあってしてきたことなんです。
母親が厳しいのであれば、父親が優しくすればいい。


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