ありのまま、愛すること。
しかし、会社を立ち上げてから数年のうちに、この自分の意識は激変していくこととなりました。

いつまでにこうなりたい、というあるべき姿を描いて、思いによって、意志によって行動を起こし、日々の現実を変え続けていくうちに、「業」から解き放たれたような気がしたのです。

そのあるべき姿とは、「明日の会社と、明日の自分の姿」でした。

明日の会社の姿とは、売上や利益だけでなく、社会にどう関わり、貢献しているのか。

明日の自分の姿は、どんな人格を身につけているのか。

それらのことを限りなく具体的にイメージして、日々現実を変えていった結果、「悪いことが起きたときにホッとしなく」なる自分がいました。

悪いことが起きたとき、これはおかしい、こんなことが起こるわけがない……と考えられるようになったのです。

これは、私にとって大きな変化でした。

よく「負けグセ」「不幸グセ」などと言われますが、実力があるない以上に、この「クセ」は結果を左右するのです。

しかしながら現在の教育は、この部分をまったく異にするものです。

現在の教育は、遺伝によって与えられた資質が一人ひとりまったく異なるにもかかわらず、ひとつのものさしで全員を測ろうとしている。

なぜそんなことが起こるのでしょうか。


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