ありのまま、愛すること。
私の母は、私を産むことによって、明らかに生へと向かっていた。

もう一度「生きる」ために、私を産んだのだ。

50歳を過ぎたいまさらながらにして、それを私は知らされたのです。

私は落涙を禁じ得ませんでした。震える肩を止める術もなく、ただただ泣きました。

私が生まれたことで、母が結果的に長く生きられたのだとしたら、こんなに嬉しいことはない。

この気持ちは、もしもあの10歳のときに同じことを言われていたとしても、理解できなかったものでしょう。

自分が社会の荒波にもまれ、運命の人と出会い、子を持ち親になり、育てた子どもがまた成長を遂げている。

その成長を日々見守るなかで感じた、経験したさまざまなことがまた、私の脳裏に蘇ってきます。そして傍らにいる妻が、初めて自分で産んだ子を抱いた瞬間の、その喜びがいかばかりのものであったのかが、目に見えるようにわかるのです。

人間というものは、いくつになっても知らないことがあり、またそれにより成長させられる生き物なのでしょう。

こうしてまた私に、新しいことに気づかせてくれたのは、紛れもなく私の母であり、なにか見えざる大きな存在であると信じています。

だからこそ、私は毎朝、そして1日の終わりに、仏間で両親、祖母と向き合うのです。

そしてそこで、対話をするのです。


お母さん、あなたの人生はとても短いものだったかもしれません。

でも、僕の誇りなのです。

あなたの生きたを誇りに、僕はこれからも、あなたの息子であることに恥じない人生を過ごしていこうと思っています。

そしていま、あらためて。


お母さん、ありがとう─。

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