ありのまま、愛すること。
あのときカンボジア、ネパール、バングラデシュで目の当たりにした子どもたちと、母を亡くした直後のすべてを失った私。

彼らも私も、失ってしまったが、失う前までは母親の愛で満たされていた。

であるならば、「大きすぎる愛に包まれた」私が、同じように親を失った彼らに、なにかをさせてもらいたいと願うのは、私にはごく必然的なことなのです。
目の前に、そういう憂き目から脱出できない子どもたちがいたとき、私はそこを、素通りできなかった、それだけのことなのです。

そして、彼らのような、虚無のなかに過ごしている子どもたちが、愛し、愛されることを知り、衣食住に満ち、必要な教育を施されるために、受けた愛の大きさを知る私が、できることをするのは、当たり前のこと。


日増しに強くなるその思いが「使命」なのだとすれば、「母親が与えてくれた使命」なのだと思えば、「なるほどな」と納得できるような気もしています。

母がなぜ、命を賭けて私を産んだのか。

なぜ10年間で、あそこまで愛情の限りを私に尽くしたのか。

それを考えるとき、母は私を産み落とすことが、母の使命だったのかもしれないと、私は思うんです。

私を産んで、自らも生きようと誓った母は、残念ながらあの若さで亡くなったとき、自分で実現できなかったことを私に託したのかもしれません。

母が託したものとは、私の人生の使命なのかもしれないのです。
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