ありのまま、愛すること。
それから、母がずっと笑顔でいられるためには、子どもを全肯定する=自分の存在も肯定するということができていないと、難しいとも考えます。

私の母は自分の生き方に誇りを持っていて、自分のことも全肯定する人だったと思います。だからこそ、自信を持って子どもを愛することができたのです。

母の人生は、思うがままに生きてきた人生。

自分の好きなように生きてきた人生。

結婚も、仕事も、当時の女性としては異例でしょうが、自分の決めた道を進んだ。

白いスーツを着て、車を運転する。

いまで言えば、全身をブランド品で決めている完璧なビジネス・ウーマンでした。

それで参観日にも来るものですから、子どもの私は鼻が高い。

周りの母親に比べるまでもなく、私の母がいちばん若くて、いちばんキレイだった。

クラスメートにもビックリされるほどでしたからね。

時代背景からして、それほど目立つ動きをする女性というのは、周囲からやっかみやひがみもあったのかもしれませんが、母はそのようなことを意に介するような性格ではなく、わが道を行けるタイプでした。

いま、KY(空気が読めない)という言葉に惑わされる親子が非常に多い。
親も子もみな、周囲に気を遣って、集団の動きと別の動きをすればすぐに、輪のなかから外されてしまう。

それを恐れるのは、とても残念なことです。

もちろん、集団の足並みをそろえることは大事ですし、処世術のひとつではありますが、それにとらわれすぎ、そういう状況で育った子どもは、後にどういう大人になっていくでしょうか。

つまらない大人にならないでしょうか。

自分に自信を持って生きるということは、いまの世のなかを生きるお母さん方にこそ、意識してほしいことです。
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